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【ちょっと余談なコラムコーナー】製糸業で栄えた岡谷

はじめに

ご存じの方もいるかと思いますが、岡谷市はかつて製糸業で栄えた町でした。
なぜ、岡谷市は製糸の町として栄えたか、皆さんはご存知ですか?

岡谷市は過去に「シルク岡谷」として知られ、製糸業で大いに栄えた歴史があります。
製糸業は古くから行われており、特に明治時代から昭和初期にかけて大きな発展を遂げました。

岡谷市の製糸業発展の歩み

明治時代には、岡谷市の製糸業はフランスやイタリアから導入された技術を基に、独自の「諏訪式繰糸機」を開発しました。
この機械はコンパクトで高性能、低価格で高品質の生糸を生産できるため、全国に広まりました。

大正時代には、岡谷市は日本一の生糸生産地となり、世界中に生糸を輸出するまでに成長しました。
特に片倉財閥が大きな役割を果たし、岡谷市の製糸工場は世界一の生産量を誇りました。

昭和初期には、製糸工場で働く多くの若い女性たちが岡谷に集まり、街は活気に満ちていました。
工場では労働環境の改善や教育にも力を入れ、工女さんたちは国語や算数、裁縫などを学びました。

現在も受け継がれる製糸の歴史

現在でも岡谷市には製糸業の歴史を伝える「岡谷蚕糸博物館」があり、製糸の実演や蚕の飼育などを見学することができます。

※参考:岡谷蚕糸博物館 -シルクファクトおかや-(信州ミュージアムガイド)

製糸業はなぜ衰退したのか?

でも、なぜ岡谷市をはじめ全国の製糸業界は衰退してしまったのでしょうか?
主な理由として以下の3つが大きいと言われています。

要因
世界大恐慌

1930年代の世界大恐慌により、絹の需要が大幅に減少しました。
これにより、生糸の価格が急落し、多くの製糸工場が経営難に陥りました。

要因
太平洋戦争の影響

第二次世界大戦中、戦争の影響で生産資源が不足し、製糸業は大きな打撃を受けました。
戦後も復興には時間がかかり、製糸業の再建は困難でした。

要因
ナイロンの登場と需要減少

戦後、ナイロンなどの合成繊維が登場し、絹に代わる新しい素材として急速に普及しました。
これにより、絹の需要がさらに減少し、製糸業は衰退しました。

地域の誇りとして今も残る製糸業の歴史

先程述べた要因が重なり、岡谷市の製糸業も次第に衰退していきました。
しかし、その歴史と技術は今もなお、地域の誇りとして受け継がれています。